キリストのメタファー
2015年10月27日
ベルイマンの「魔術師」「叫びとささやき」を連続で見た。
「魔術師」はマックス・フォン・シドー、グンナール・ビョルンストランド、イングリット・チューリンといったベルイマン組とでもいうべき役者陣。
描くのは魔術を見せる旅芸人一座。
魔術を信じる、信じない、のような話、マックス・フォン・シドーのトリックを使った死と復活。
「叫びとささやき」は不良少女モニカのハリエット・アンデルセン、野いちごのイングリット・チューリンにまだ見てないけどペルソナのリヴ・ウルマンといったベルイマン組・女優シリーズ。
抽象的な表現。赤ベースの背景で「肉」というものの否定、追従に関する愛憎劇が続く。
イングリットチューリンは肉を拒絶
リヴウルマンは肉に追従
ハリエット・アンデルセンは作中ずっと病気で、メイドによる肉体のぬくもり抱擁で介護される。で、死ぬ。そして亡霊として復活する。
ハリエットアンデルセンは「肉」ではなく「霊」の役割なのか。
死んだあと霊になって姉妹にふれあいを求めるのである。
最後に回想で親しい人といる何気ない時間こそが幸せであったという。(ハンマーで打たれますよこの作品)
なんだか作品全てがキリストを問うているように思えてならないのですよ。ミュージカルのジーザスクライストスーパースターのような直接表現ではなく。
確信できるのは、ベルイマンは人格としての神を否定しているだろうということ。祈りに応えてくれる神などいない、ということを作品をまたいで何度も繰り返し描いている。
そして日常の周囲を取り巻く世界、毎日のささやかな幸せの中に「神」のエッセンスがあると。
じゃあキリスト自身はなんなのかと。奇跡を見せて「愛」を信じさせたキリストはなんなのかと。
そこがベルイマンのインスピレーションの源なのではないか。
奇跡とはなんであるのか、ジーザス・クライストとはなんであったのかという問いが。
そこに真剣に向き合って考えて感じて作品を作り続けた大巨匠、尊敬するしかありません。
ちなみに今のところベルイマンで一番すきなのは「処女の泉」「夏の遊び」です