自分的ゴジラ祭り
2017年11月19日
ほんとに世間とずれてて申し訳ないのですが、これはテレビでシンゴジラを観たとかアニメのゴジラに関する話ではなく1998年のローランドエメリッヒ版「GODZILLA」を再び観たよって話です。
ずっと、これに関してはまあ世間の言うような感想を持っていましたがね。
「ゴジラじゃないよね」「じゅらしっくぱーくだよね」
と。
エメリッヒ監督への印象もCGがとにかくすごい監督、くらいなものしかなかったです。
そんな印象のままギャレスエドワーズ監督の2014年の「GODZILLA」とか「シンゴジラ」も観て、ますますこの1998年の「GODZILLA」は「無いなあ」って感じになっていきましたが。
なんで観たかっていうと、最近のテレビ放映されたシンゴジラをまんまと見損ねた結果、huluで観れないかなと検索してたらこれが出てきたってだけの話。
ちなみにhuluではシンゴジラ見れない。
まあわざわざブログに書くってことは当然面白かったからなんですが。
すくなくともジュラシックパークの亜流、なんていう陳腐な感想で一刀両断してしまうべき作品じゃない。
今は「シンゴジラ」なども通し、ゴジラであることの許容範囲が広がっているので、再視聴したら楽しめる人も多いのではないか。
やっぱりゴジラっていう原子力のメタファーだし、初代ゴジラはほんとに得体のしれないものへの恐怖に直面する人類、みたいな描かれ方で、神的な雰囲気もあるし、そういう雰囲気は外してほしくないなあという思いは確かにあるんだけど
でも言っちゃえばその後のゴジラは純然たる怪獣映画だし。2014版もただの怪獣映画だし。しかも2014版は向こうの作品としては珍しく正直芝居やばいし。設定もなんかやばいし。
シンゴジラでは原子力のメタファーとしてのゴジラ、戻ってきたのかなと思いますけどね。特筆すべき要素はゴジラそのものよりも政府対応とか災害時の描写のディティールだとは思うけど。
1998は、メタファーという位置づけではないけど、ハリウッド的様式美というかパターンいのっとり基本的にはエンターテイメントに徹しつつも、色々なディティールなどリアリティはものすごい描写力で、人間の描写も面白い。
1998年版のゴジラはキャラクターがステレオタイプだとかウィキペディアに書いてあったけど、編集者の人きちんと観れてるのかな。人物造形はきちんといしているし。主役のマシュー・ブロデリックすげー演技うまいし。ジャンレノのキャラも良い。一辺倒に描かれている人間はない。ニューヨーク市長とかもかわいらしい。
ディティールにこだわっていながらも、リアリティばかりアピールしているわけではなくライトタッチな芝居に仕上げており、絶妙。
あくまで最後の仕上げを軽く仕上げているだけで、最終出口に至るまでの設定は徹底しているので、私は上質だと思う。
ちょっとクスっとくる小ネタも満載。
でもってこのゴジラは一番生物してる。怪獣である前に生物。でかすぎるけど、きちんと生物。生態系を考慮され、微細な感情まで許容範囲内で描かれている。火もはかない。(対極がシンゴジラかなあ)
ストライドや滞空時間の長い歩き方、構造を理解した上でのジャンプ、泳ぎ方、このゴジラは生きているんだ。最後ゴジラが死ぬとき、ちょっと「ああ、死んじゃうのか」と思わせる。
ゴジラがニューヨークの地中から出てくるカット、橋に絡まってるカットは神カット。名シーン。かっこいい。
一番言いたいのは1シーン1カット適当なカットなど全くない、すんごい作品であるということ。
残念なことにエメリッヒ監督は酷評され続けたせいか、本作品に自ら否定的になってしまっているとのこと。
これって悲劇だよなあ。ほんとに。
まあ私自身、これはない、としばらく思っていたけど。
誰か観て同意してちょーだい
コメント
最近、ブログの更新がないなぁと思ってたんですよ。
お元気でなにより。^ ^
2017年11月23日07:24 | ようひ
ようひさんコメントありがとうございます!
いつもブログ書こうとは思ってるんですが、中々時間を惜しむようになってしまいました…
きにかけていただいてありがとうございます。
2017年11月27日11:24 | ryo-daikyoji